ヒーリングあれこれ

むかし話

父の話です。私の父はスピリチュアルな人間ではありませんでしたが、四柱推命の大家に大枚を払って運勢を占ってもらったことがありました。占いには父の寿命について書かれていて、74歳頃が大きなヤマで、奇跡のようなことが起こればその後10年ぐらいは生きられる。ただ人生の最期は「孤高」の人生を送ることになるだろう、と書かれていました。

父はもともと昔気質の亭主関白、激しい性格でしたが、40歳頃から株式投資にはまってしまい、景気の良いときは羽振りも良かったのですが、バブルの崩壊で一夜にして何もかも失ってしまいました。これで改心するかと思いましたが、それほどの目にあっても、細々と株式投資を続けていました。

もう一度夢を見たかったのか、パチンコにはまるのと同じようなことだったのか。ほとほと愛想が尽きた私は、母が1994年に亡くなって以降、没交渉となっていました。

そんな父から久しぶりに電話がかかってきたのは2001年5月頃のことでした。「がんになって大学病院で診察を受けたら余命3カ月と言われた。銀行口座にも少ししかない。手術や生活のことなど、すべて面倒みて欲しい。」
父が74歳になる年でした。当時、父は関西地方に住んでいたのですが、見舞いがてら様子を見に行くと、肝臓がんのほかに咽頭がんにもなっており、リンパ節に転移して首の周りの甲状腺がゴムチューブのように膨らんでいました。確かに、これでは余命3ヵ月と言われるでしょう。
病床の父は、体のあちこちが痛むと顔を歪めます。いろいろなすれ違い、諍いもありましたが、こういう父を目の前にすると、親子の情というのか、ひとりの人間としての思いというのか、何とかしてこの苦しみを和らげるなり、解消してやりたいと思いました。そこで、宇宙のあらゆる存在に助けを求めて、可能な限りの思いを込めてヒーリングを行いました。
同時に、東京の病院に転院させてもらい、とりあえず手術だけはしてみましょう、ということで、手術できる病巣を取り除き、放射線治療、化学療法を行いました。手術したのは7月だったのですが、不思議なことに9月にはがんが消えてしまい、退院できることになりました。

実はそれからが大変でした。父は精神を病んでいたのです。双極性障害と診断されましたが、躁状態になると他人に対して非常に攻撃的になり、お世話になっていた施設でも管理人の方がうつ病になってしまう、他の入居者からのクレームが毎日のように出るなど大変な状況でした。その後10年あまり、自宅と施設を転々とし、最後は精神病院で何年も暮らして85歳で生涯を終えました。「孤高」とはよく言ったものです。

一連の出来事から学んだことはたくさんありましたが、当時は家族にも周囲にも迷惑のかけ通しで、自分の責任とはいえないのでしょうが「ヒーリングなどしなければ良かった」と思ったことは一度ではありません。

ヒーリングといえば、皆さんポジティブなイメージをお持ちでしょうが、私自身はこのときの経験から「自分の勝手な思いで、やたらとヒーリングするものではないな」と考えるようになりました。
人間は、生まれてくる前に、いろいろな経験ができるように人生を設計するそうです。それは、良い思いをしたい、というより、自分の成長のために最も効果的な経験を積めるようにしたい、ということだと思います。悲しみ、苦痛も、意識進化に必要があるから経験するのです。その人生に皮相的な見方で介入する、ということは、元々の目的を台無しにしかねません。そして、その因果は、ヒーリングをした人にも、してもらった人にも及びます。

世の中には、「病院や薬代わりのヒーリング」と思っている人も多いようですが、どうなんでしょうか。

いまの私は、その人とハイヤーセルフをつなぐパイプの流れを良くし、太くする、というヒーリングしかやりません。ですので、自分で克服する力は大きくなりますが、一時的な痛みや苦しさを取るとか、経験しないで済ませる、軽くするということにはなりませんし、逆に、うまく克服できたからもっと大きな課題も体験してみるか、ということになってしまうかも😅

申し訳ありません(^^♪

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