いまここ

つぶやき

暦とともに季節も進んで、一段と寒くなりました。お鍋でも食べて暖まりたいですね~

前回ご報告したように、一度「悟り」の波動に達しましたが、これは長続きするわけではありません。いつものことですが、一時的な体験のあとは再び通常モードに戻り、日常生活を過ごしながらピーク体験を咀嚼する、という状態が続きます。

こうしたなか、立ち寄った書店で、自らの体験とリンクする本を2冊発見しました。

筆者(阿部敏郎さん)は30年以上前に「悟り」に達した人のようで、そこに至るプロセスが「物語」として描かれていますが、内容から「悟った」体験をされたのだな、と分かります。

悟りに至るプロセスは人それぞれなのですが、「悟った状態」について興味深い一節がありましたので、高次元の意識との対話から抜粋します。

 

「いま」にいるか、それとも「いま以外」にいるか、可能性はふたつしかない。「いま以外」とは思考が作り出す世界のことであり、たとえ人類を救済する内容だとしても、それはマインドの物語に過ぎない。あらゆる人は無意識に物語の世界を生きてしまう。その世界は一人ずつの創作であり、同じものは一つとしてない。なのに人々は、みんなが同じ世界に住んでいると思っている。だから毎日のように関係に軋轢が生じるのだ。(中略)

宗教や神でさえも心が作り出したストーリーそのものであり、個々の世界の中にしか存在していない。実在するものは、常に「ここ」に生じ続けている「いま」だけだ。(中略)

お前は真理を体得したにもかかわらず、いまここの真理から離れて、人々を目覚めさせるための方法を探すことを自らの使命とした。なぜそうしたかと言えば、自我は自分が存在していないことをどこかで感じているので、自分は確かな存在だという確認を四六時中するための物語が必要なのだ、これが、人が自分本位の夢物語を作り出してしまう理由であり、物心ついてからずっとやり続けていることだ。だからすぐに夢に引き込まれてしまう。たとえお前のように、いったん目覚めた者でさえもだ。そしてことがうまくいったとか、いかなかったとか、大騒ぎする。うまくいっていようと、いまいと、全部夢だ。ポイントはそこではない。いまここに目覚めているか、いないのかだけだ。(中略)

そもそも個人の意識など存在していない。高い意識から粗野で乱暴な低い意識まで、あらゆる可能性を持った意識が一つあると想像してみなさい。人はそのなかの一定のレベルの意識に合わせて生きていて、意識が低くなるとそれに応じた夢を見るようになっている。そして最も高い意識が自分の中を流れだした時、その人から夢が消える。それが目覚めだ。しかしそれは個人の意識が高まるのではなく、常にあり続けている高い意識が現れた時に起こることだ。(中略)

神社も寺院も教会も夢の一部でしかない。あらゆる宗教も人の共同幻想にすぎない。歴史も何もかもが共同幻想だ。だから何が真実かの論争はやめなさい。すべては夢だからだ。存在するのは『いまここ』にある意識だけだ。その意識がどの段階の夢を見ているのか、あるいは夢から覚めているのか、ただそれだけが起きている。

 

私自身は、人類を救済しよう、などという大望は抱いていませんが、「物語を作りたがるエゴの意識」というところは、ハッとさせられますね。続いてもう一冊ご紹介しましょう。

著者のレナード・ジェイコブソンは、1981年12月に最初の目覚めを体験し、1997年5月に最後の至高体験をするまで、合計6回の大きな超常体験をしています(体験の内容に興味のある方は本を読んでみてください)。

表題通り、この本のポイントも「今この瞬間」に生きる、ということです。おそらく、「いま」「ここ」という言葉自体が、実は一番つかみにくいところかもしれません😩

ごく簡単にいえば、人はエゴの思考によって、過去か未来に生きており、「いまここ」に生きていない、「いまここ」に存在するためには、エゴから離れて、思考、雑念を鎮めることが必要だ、ということなんですよね。いやいや自分は現在にいるよ、と思っている人も、自分の思考を客観的に観察すると、次、何をしようか、あのときはこうだった、という未来、過去に関する思考で埋め尽くされているはずです。つまり「いまここ」にある、ということは思考が存在していない状態なんですよ!

レナードさんは、このように言っています。

ほとんどの人は無意識の状態で生きています。目は開かれ、日常生活では歩いたり、話したりしているので目覚めているように見えますが、わたしたちは本当のところ、目覚めていないのです。

わたしたちは過去の記憶と想像する未来というマインドの中でさまよっています。それは思考、記憶、想像の世界であり、意見、観念、概念、信念の世界です。「今この瞬間」の外側に「生」があるという感覚をわたしたちに与え、「今この瞬間」の外側に、「自分自身」という感覚をわたしたちに与えます。これこそが最大の幻想なのです。

そして最初の目覚めの感覚を次のように表現しています。

その体験が実際にどのようなことだったかを説明することはとても困難で、ただ言えるのは、わたしの存在はもはや「個」でなくなったということです。わたしは完全に「ワンネス」に溶け込み、マインドはまったく静まっていました。過去と未来は消え去り、まさに「今この瞬間」以外には「生」がありませんでした。

そして6度の体験のあと目覚めについて次のように語っています。

わたくしが記述した体験は至高体験であり、他のあらゆる体験と同じようにやって来ては去っていくものです。体験は恩寵によって起こり、自ずから消え去るものです。目覚めの体験にしがみつくことも、その体験を切に望むこともできないのです。

目覚めのプロセスにおいて、必ずしもこのような至高体験は必要ではありません。多くの人々にとって、目覚めはゆるやかなものになるでしょう。目覚めには真の責任を受け容れることが含まれます。目覚めはエゴとの正しい関係が含まれます。目覚めは時間と分離を通り抜けるこの長い旅の行程において、あなたはどのような人間になったのか、そのあらゆる側面を打ち明ける*勇気と正直さが必要です。あなたは抑圧した感情の貯蔵庫を空にしなければなりません。他者との絡み合いから解放されなければならず、あなたは批判を超えなければなりません*。「生の真実」「愛の真実」「パワーの真実」を受け容れなければなりません。

*「打ち明ける」とは、第三者に話す、という意味ではなく、自分の内面に入って自分自身と正面から向き合うこと、「批判を超える」とは、他者へのすべての批判を止めること、を指している。

しかしながら、目覚めへの本当の鍵は、「今この瞬間」がまさに人生の基盤となるよう、「この瞬間」に在る術を身につけることなのです。

 

■おまけ

ちょっと堅苦しい内容が続きましたので、息抜き?の動画をご紹介します。

【明晰夢マスター】夢をコントロールする驚きの体験談
#明晰夢明晰夢マスターMiya Chan のブログ Chan のサロンルームメンバーシップでは、毎週限定ライブ配信&月に1回ゲスト対談を実施。さらに深掘りした...

動画の内容は「ふ~ん、こんなこともあるかもな😲」というところですが、重要な情報が抜けているのではないか、と思いました。動画の8分30秒頃に、主人公の前にたくさんの「夢」のモニターが出てくる場面がありますが、実は自分の後ろを振り返れば、彼女の日常の3次元生活が大きなモニターに映し出されているはずなんです。彼女はそこから出てきて夢の世界のモニターに入り、夢が終わると、また3次元の日常生活を映し出す大きなモニターに帰っていくんですよ。

人が死ぬときも、「意識のシフト」も同じようなことです。

たとえ話ですが、地球の次元シフトで起きることは、すべてのモニターの電源が一瞬落ちて、次に再点灯したときには、3次元地球のモニターは存在しない、というような感じですね。次にどの画面に入っていくのか、そもそも画面にはもう入らないというのか、人それぞれの選択です。

もし新しいモニター画面がいくつか提示されたなら、自分たちの本質はワンネスであって、意識進化のためにこの世界を体験しているんだ、という共通理解のある世界を選びたいものですね😁

 

皆さまが光と愛で包まれますように

激動の時代に 光と愛の伝道者として輝きますように😍

 

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