般若心経(原典)

つぶやき

梅雨入り間近です。早い、遅い、はともかく、普通に雨が降って、大きな災害が起こらないように願いたいものです😅

さて、本日のお題「般若心経」は、270字程度とコンパクトで、写経にもよく使われている日本一ポピュラーなお経です。短いですが、内容はなかなか深遠で、きちんと理解している人は意外に少ないかもしれません。

かくいう私も怪しいものですが、玄奘三蔵(三蔵法師)が伝えたとされる漢訳版とその解釈(日本語訳)は、どうも分かりにくいなぁ、と思っていました。今回、原典(サンスクリット語)と分かりやすい日本語訳を見つけたのでご紹介します↓

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動画を見るだけで、おおよその意味は通じると思いますが、少しだけ(独自の勝手な)解説を加えたいと思います。

 

■菩薩

菩薩とは、如来(仏;悟りを開いた者)の次に位置し、人間生活を経験したうえで悟りを開こうとしている存在(人間への奉仕を行っている者)とされています。

般若心経は、菩薩が瞑想(行)のなかで得た「完全な悟り」をシャーリープトラ(ブッダの二大弟子のひとり)に伝えたという形式になっています。

 

■空(空性)と色

空と色とは何か、を得心できないと、般若心経を読み解けません。空(空性)とは、肉体の五感では直接捉えられない高次元エネルギーのことです。これに対して色とは、五感で捉えられる物質的な事物、事象および感覚そのものを指しています。

あらゆる事象、事物、感覚は、すべて空というエネルギーで成り立っており、エネルギーの表れである、つまり「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」というわけです。

エネルギー自体は、生まれるものでもなく、滅するものでもなく、キレイだとか、汚れているとかということもなく、増えたり、減ったりすることもない、五感や感情、思考では捉えられない(それによって到達することはできない)、そもそも五感や感情、思考によって何か(個別の)実体が存在するように思い込んでいるだけである、と言っているんですね。

 

■無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 無智亦無得

「知識もない 人間が抱える根源的な煩悩もない 知識が無くなることもない 人間が抱える根源的な煩悩が無くなることもない 老いることや死ぬこともない 乃至 老いることや死ぬことが無くなることもない 生きる苦悩(=苦)もない 苦が集まる根源(=集)もない 苦の抑制(=滅)もない 悟りへの道筋(=道)もない,(何かを)知ることもない (何かを)獲得することもない」

この部分が一番難しいかもしれません😩

宇宙に普遍的に存在する高次エネルギーは、あらゆる事象、事物、感覚のすべての状態が包摂されているので、「ある」とか「ない」という特定の状態に決定できない、という一種の量子論が示されています。

人は、何かに解釈を与えたり、決めたがりますが、元々の状態は何か特定の状態に決められない、それを定義したり、意味を与えたりしようとするから問題(煩悩)が生じる、ということです😅

因みに、多くの人は、「空」というと(認識も思考も対象も自分もないので)「何も存在しない真っ暗闇の無感覚の状態」と捉えがちですが、これは誤解です!

ワンネス(根源的波動の状態)は、言葉では尽くせないほど素晴らしい愛に満ちた状態です。すべてが一体として存在するので、個別の存在、状態はないけれども、何もない「無」ではなく、すべてがあって区分がない(分離がない)「無」なんですね。

さらに、財産、名誉、地位、権力、成果(業績)、健康、不老長寿、知識、悟りなど、何かを得たい、と思うから煩悩が生じるのだ、何かを得たいという欲がなければ、心にバイアスがかかることもなく、(何かを失うという)恐怖もなく、煩悩(および因果)が生じることもない、と続きます。

 

■三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提

「三つの世に 安住している すべての 仏は, 叡智の 超越的境地を 頼りとして これ以上ない 完全な 正しい 悟りに目覚めている.」

あえて説明するほどでもありませんが、三世とは「過去、現在、未来」という意味で、仏(悟りを得た者)とは、いつの時代においても、このような超越的な境地に達して揺るがない存在だとしています。ブッダもこのなかの一人ですが、誰もがこのような道を歩むことができる、というのが仏教の考え方です。

 

マントラ(偈)の訳文

「行き着いた(と思っても実際は到達できず), (再び)行き着いた(と思っても実際は到達できず), (幾度も同じ試みをした挙句にようやく)彼岸に行き着いた(と思っても長くは留まれず俗世に戻り), (そしてさらに幾度も幾度も同じ試みを重ねることでついに)彼岸に完全に行き着いた. (これがまさに、叡智の超越的境地に至る神髄である.)  悟りよ、幸いあれ!」

という部分は、実に素晴らしい日本語訳ですね! 私も何回も苦渋を舐め続け、未だに完全な悟りに至っていませんが(笑)、如来(仏)も幾度もの試行錯誤の末に真の悟りに到達したんだなぁ、と知ると、親近感が湧き、勇気づけられま😁

 

★ちょっとした疑問

般若心経は、「悟っていない『私』が、なぜいまここに存在するのか」という問いについて、何も触れていません。既に存在しているので、その理由を知っても意味がない、ということなのか、その問いも答えも単なる知識なので意味がない、ということなのか分かりません。

よくあるスピリチュアル的な回答は、「それをあなたが望んだから」というものですが、いずれにしても、完全に悟ってしまえば、これらの疑問もすべて解消するのでしょう!

ですが、そんなことに悩まず、(他人様に迷惑をかけないで)日々を楽しく過ごすことのほうが、よほど健康的なのかもしれませんね😁

 

★おまけ(余談)

般若心経を唱えると、成仏していない存在を成仏させることができる、と誤解していた時期がありました。「間違い」とまでは言いませんが、唱える人の霊能力(波動)と意図によるんですよね😅

エネルギー状態の良くない場所に行ったり、異質な存在に出会ったりしたときに、特定のお経や呪文を唱える方もいらっしゃいますが、これも同じことです。(ある種の囚われともいえる)

要するにその人の波動と意図がどうか、ということなので、例えば恐怖に駆られた状況で、一生懸命、呪文を唱えても何の効果もありません(自我が自分だけ助かりたいという「分離」の波動を強めているだけ)。

逆説的ですが、そもそも波動状態が整っていれば、エネルギー状態が良くないところに行く着くことはありませんし、妙な存在を引き寄せることもありません。

このあたりの順番を誤解されている方が、結構いらっしゃるような気がします。もちろん、「ネガティブ波動体験」も貴重な経験で、この世に転生してきた目的のひとつかもしれないんですけどね😅

 

皆さまが光と愛で包まれますように

激動の時代に 光と愛の伝道者として輝きますように😍

 

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