地震、豪雨、洪水など、いろいろなことが起きますね😥 被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます🙇
さて、今日は、瞑想や臨死体験と非二元がどのように関連しているのか、について考察してみたいと思います。所詮はヒマな人のつぶやきなので、時間のあるときに、ゆっくりご覧ください・・・😁
■瞑想の目的、到達点
瞑想といっても、世の中には様々な流儀や方法があり、目的も様々です。それらを網羅的に説明するのは困難ですので、ここでは最も古典的な教本、「ヨーガ・スートラ」(ヨガ経典;ヨーガはサンスクリット語)を例にとりたいと思います。
現代のヨガというと、いろいろなポーズを取って肉体を鍛えるものが主流なので、瞑想とは関係ないのではないか、と誤解されていらっしゃる方もおられるでしょう。ですが、ヨーガ・スートラは、瞑想によって悟りに至る方法を説いた出家者向けの経典です。ヨガのポーズであるアーサナは、出家者が楽に長時間座り続けるための「座法」を意味しています。
<参考>ヨーガ・スートラとは↓

ヨーガ・スートラは、パタンジャリという人が4,5世紀頃に編纂したものとされていますが、全体で4章、200文程度の短いものです。般若心経と似たような感じですね。
その第1章は、次の2文で始まります。
「それではヨーガを教えよう。
ヨーガとは心の働きを止めることである。」
多くの方が、ここで面食らうでしょう😲 えっ、ヨガってそういうことだったの? 「心の働きを止める」って脳死?
実は、ヨーガの根底に流れている思想は「この世で生きることは苦しみである」というもので、その原因が「心の働きにある」としています。少し解説が必要なのは、いわゆる「意識」と、ここでいう「心」とはベツモノだ、ということです(仏教と似ています)。
その前提を知るために、ちょっと寄り道ですが、ヨーガの根底にある宇宙観を形作っている「サーンキヤ哲学」を紐解いてみましょう。
サーンキヤ哲学の開祖は、カピラという古代の聖者といわれていますが、その特徴は極めてスケールの大きな「二元論」です。
ごくごく簡単にまとめると、「プルシャ」という根源意識が、「プラクリティ」という根源物質を「見る」(気づく)ことによって、この宇宙が生じた、とされており、さらに、プラクリティ(物質)から、マハットと呼ばれる宇宙の心(マハーブッディ)と個人の心(ブッディ;識別智)が生まれた、とされます。
このマハットが、アハンカーラと呼ばれる自我(エゴ)を生み出し、そのエゴの働きがマナス(思考と欲望)、カルマインドリア(行動器官;つまり肉体)、ジュニャーナインドリア(感覚器官)を生み、対象となる5つの感覚(形、音、色、味、匂い)と5大元素(空、風、火、水、土)も同時に生み出された、というものです。
まったくワケがワカラナイ😫という感想はさておき、重要なのは、根源物質から心が生まれた、つまり、サーンキヤ哲学においては、「根源意識」以外の宇宙のすべて、心やこれに属する思考、欲望、感覚も、「物質」である、としていることです。
そしてプルシャ(根源意識)の性質が永遠不変であるのに対して、心や感覚を含めたプラクリティ(すべての物質)は変化し続ける、という特徴を持っています。
では「この世で生きることは苦しみである」とされるのは、なぜか?
こちらも、ごく大雑把にまとめると、この宇宙に生まれたものは必ず滅び、喜び、幸せも必ず色褪せていく、というのが、プラクリティの原理です(諸行無常)。しかし「心」は、美しいもの、善いもの、楽しい瞬間を追い求め、醜いもの、悪いもの、悲しい瞬間を毛嫌いします。その繰り返しが心に深く刻まれ、いつも現状を嘆き、過去を悔やみ、未来の不安に怯える、という「苦しみ」の悪循環に陥る、ということなんですね。
大雑把なまとめには、ご異論があるかもしれませんが、サーンキヤ哲学への脱線はこれぐらいにしておきます😅
続いて、ヨーガ・スートラの第3文、第4文では、
「そのとき(心の働きを止めたとき)、見るものはそれ本来の状態にとどまる。
その他のときは、心の働きと同一化している。」
この世に生きる苦しみから脱するためには、心の働きを止めて本来の状態(根源意識)に戻れ、と教えているわけです。このあと、4章にわたって、執着を手放すなど、心の働きを止めるための方法論(修行)が書かれています。
さらに、ヨーガ・スートラでは、最終目的である「悟り」(サマーディ)にも3つの段階があるとしています。
こちらも、誤解を恐れずに超簡単にまとめると、まず第1は「思考、欲望、感覚」(マナス)を完全に離れるという段階、第2は「自我」(アハンカーラ)を完全に離れるという段階、最後は「絶対的真理」を獲得してすべての煩悩とカルマを消し去り、「識別」も消えてしまう段階(カイヴァリヤ)、即ちプラクリティ(純粋意識)への帰還です。
純粋意識は、根源物質を見る(気づく)ことによって展開した宇宙との一体化を経験したあと、再び純粋意識に戻っていく、という実に壮大な物語です😲
<参考>ヨーガ・スートラ全文↓

因みに、インド古代の叙事詩「バガヴァッド・ギーター」(サンスクリット語で「神の歌」)においては、この宇宙の始まりと終わりは永遠に繰り返されているとされ、1回の期間は43億2千万年の2倍(ブラフマーの昼と夜;宇宙の呼気と吸気)で、たったの86億年4千万年です!
■ヨーガ・スートラの「悟り」と非二元
それでは、今日のテーマである「非二元」について、簡単に比較、検討してみましょう。
世の中で、「非二元」の「完全な解放」を標榜しておられる方々が、実際にどの程度の「悟り」の状態なのかは、具体的に知る由もありません。ですが、SNS や著作などから私が勝手に読み解く範囲においては、多くの方が、ヨーガ・スートラの第1段階(思考、欲望を離れる)をクリアーしていそうです。また、第2段階をクリアーされている方、つまり完全に「自我」が消えてしまった方も、少数ながらいらっしゃるようにお見受けします。
ですが、第3段階の方はいらっしゃらないでしょう。先ほど申し上げたように、その「悟り」においては、「自己」は完全に消え、「ここ」と「あそこ」、「内」と「外」を識別することもない、物質界とのかかわりが全くない状態(仏教でいうニルヴァーナ;涅槃)ですから、何かを発言するとか、行動するということが、そもそもあり得ない!
他方、ヨーガ・スートラの指し示す究極の悟りは、「非二元」と同じものか、というと、先ほど述べたように、ヨーガ・スートラの宇宙観は、プルシャ(根源意識)とプラクリティ(根源物質)という二つの要素でできている、とされているので、非二元論者から見れば「非二元ではない」ということになるでしょう。
しかし、プルシャ(根源意識)が、最初に「見る」ことによって、プラクリティ(根源物質)が意識のなかに創造された、とするならば、すべてはプルシャの要素(含まれるもの)であることになり、実質的には非二元と同じ、とも言えそうです。
まぁ言葉の定義など、どうでもよいことなのですが、全体としてみれば、ヨーガ・スートラの宇宙観と非二元の宇宙観に大差はないように思います。
もうひとつ、瞑想の到達点と非二元に共通するところがあります。ヨーガ・スートラに示された修行をどれだけ頑張っても、出家者が「悟り」に達するとは限りません(むしろ殆どいない)。しかし、ラッキーな人には、何の前触れもなく突然「悟り」がやって来る、ということらしいのです。これは、ある日、何の前触れもなく、突然「非二元」が現れる状況と全く同じ、といっても過言ではありません。
つまるところ、3次元の「自己」がいくら努力しても、3次元でないものになることはできない、イモムシがサナギを経て美しい蝶に変身できるのは、イモムシの努力ではなく、宇宙の自律的な働き(恩寵)による、ということなのでしょうか😥
■臨死体験(NDE)の到達点
臨死体験も瞑想と同様、人によって体験の種類、質がまったく異なるので、最終的な到達点を一般化することは困難です。このブログでは、臨死体験の典型例として、過去にナンシー・ダニソンさんを取り上げましたが、やや長尺で到達点と関係のないこともたくさん含まれます。
NDEでどこまで到達できるのか、というイメージを簡単に共有できるものを探したところ、こんなものがありました(実質15分程度)↓
ご本人のキリスト教的なバックグラウンドについては、割り引いて評価しなければなりませんが、ポジティブな臨死体験の特徴がよく現れています。
・3次元とは全く異なる体験 → 言葉では表現できない「光と愛」の世界/恍惚感・至福感に満たされる/時間の感覚がない
・3次元では得られない絶対的な智識 → 自らの本質は不死であり、永遠であり、愛である/世界(全体性)は完璧であり、完璧な計画に従ってすべてが実現されている
・ガイドとの遭遇 → 言葉や思考ではなく、テレパシー(直観)で意思疎通/様々な智識を得る
また、この女性の動画にはありませんが、すべてと一体となる「ワンネス体験」や「人類の未来、宇宙と地球の成り立ちのすべてを垣間見る体験」も、究極的な到達点の一つです。
なお、この女性が、最後に「すべて(全体)とは何か」、「創造とは何か」という質問について、その答えを得たものの、3次元に持ち帰ることができなかった、という点は興味深いですね。
こういう例は、臨死体験や変性意識状態の体験にときどき見られますが、おそらく3次元の心身(脳)では、それを理解し記憶するキャパシティが足りないのではないか、と思います。
■臨死体験(NDE)と非二元
臨死体験と非二元を単純に比較することは困難ですが、一見、臨死体験のほうが、何となく感動的で色鮮やかなイメージがありますよね。
しかし、非二元の立場で発言しているリチャード・シルベスターは「早く死ねたらいいね!」という著書のなかで、「解放が起きると、無条件の愛だけがあり、それがすべてとしてありのままに現われていることが見える。マインドは説明を求めるが、これに説明などありえない。ただそうなのだ。」と淡々と述べています😁
表現の違いはあるにせよ、臨死体験でも非二元でも、最終的に到達している認識や感覚に、それほどの大きな差はないのではないでしょうか。
■結局、何が言いたいのか?
1)「悟り」とはエネルギー焦点の解放
言葉による説明では、ストンと腑に落ちないかもしれないのですが、普段、皆さんの意識エネルギーは、3次元の心身に焦点を合わせているので、3次元世界が「現実的」に感じられます。しかし、「焦点を合わせる」というのは、実は、「自由なエネルギーの流れをせき止め」て、「一種の緊張状態」を維持する、ということなのです。
この緊張が、何かのきっかけで解放される、つまり、深い瞑想や変性意識状態への移行、臨死体験、非二元エネルギーの現われなどによって、自然なエネルギーの流れが回復すると、意識は、本来の状態に回帰していきます。
執着を手放す、心の働きを止める、というのは、緊張を解いて、エネルギーの流れを本来のあり方に戻す、ということなんですね。
どこまで緊張を緩められるかは、体験の質、種類によってケースバイケースですが、ある閾値を超えて解放されてしまうと、もう3次元の心身に焦点が合わなくなります。これが非二元でいう「完全な解放」であり、死後世界でいう「輪廻転生からの離脱」です。
2)意識シフトのタイミングは「いま」?
大昔から、完全な解放や輪廻転生からの離脱に至った人は、少なからずいたのかもしれませんが、現在は、非常に多くの人が、その入り口に立っているように感じます。人類全体の意識のシフトなのかどうかは分かりませんが、同じように予兆を示唆する人はたくさんいらっしゃるようです。
ブロッサム・グッドチャイルドの「光の連合」は、「(シフトの)時期はまもなく」だと伝えていますし、以下のような投稿も増えています↓

因みに、私のガイドは、2026年までが準備段階で、2027年以降が本番、と言っています😁
3)シフトへの準備
結論を申し上げれば、準備できることは殆どありません。天変地異と同じように、いつ起こるかは分かりませんが、3次元的な話ではないので、準備のしようがない、というところです。
ただ、助けになるかもしれないのは、今までとは全く異なる意識状態になるかもしれない、もしそうなったときには、パニックを起こさず、恐れ、執着を捨てて、自然の流れに任せればよい、ということを知っておくことでしょうか😁
では、また👋
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