長野編(皆神山)

長野編

8月10日、長野市郊外の皆神山に行きました。
皆神山は1960年代半ばの松代地震で有名になったところで、戦前の大本営移設計画の移転先でもあります。皆神山は一種のピラミッドであり竹内文書にも出てきますが、「行かなければ」という感じはなく、タイミングがあえば行ったらよい、というようなイメージだったので、目的がよく分かりませんでしたが、とりあえず天気が良さそうなので出かけることに。

夏休みに滞在中の蓼科から中央道、長野自動車道を経由し松代へ。1時間半ほどで到着。朝早くに出たので9時過ぎには到着です。

平地のなかにひとつだけこんもりと盛り上がっていて、確かにピラミッド的な山ですね。下から徒歩で登るとかなりきついと思いますが、車で頂上まで登れます。登り道の途中にある「岩戸神社」は特に興味をひかなかったのでスルー。

駐車場脇の古びた看板に皆神山のいわれが書いてあります。それによると、皆神山のピラミッドはエジプトのような人力(労役)によるものではなく、重力制御によって堆積土砂等を移動させる技法によって3万年前に造られたのだとか。造ったのは須佐之男命(自然主義的な科学技術者の集団の総称)とあります。古代人類というより超人類といったほうが良いかもしれません。ピラミッドの目的は、世界各地や宇宙空間への移動のための基地であった、と記されています。竹内文書の一連のコンセプトですね。どこの文献かは忘れましたが、皆神山の地質調査をしたら、周囲の山とは違って皆神山だけ河川の堆積物のような土砂でできている、と書かれていました。

駐車場のすぐ横に山門のような入口がありますが、脇の石碑には「皆神神社」と書いてあります。でも、中に入ると、皆神神社という神社はなく、熊野出速雄(くまのいずはやお)神社、侍従神社、富士浅間神社の3社が祀ってあり、このほかに「天地カゴメ之宮」という少し変わった社があります。

天地カゴメ之宮建立由来には「元の元の大元の大神様」という表現があり、大日月地神示に通じるものがありますね。

それぞれの社にお参りし、人類の平和、新しい地球への適応、すべての存在との調和を祈ります。しかし、さほどのエネルギー的な反応はなく、やっぱり積極的に来る意味はなかったのかなぁ、とややガッカリ。

それでは、と一番上にある富士浅間神社の裏手に向かいます。煙と〇〇は高いところに上る・・・・・😅

小さな井戸があり、結界が張られているのですが、その奥の切り株に腰を下ろして瞑想開始。朝早い時間で誰もいないので瞑想には打ってつけ。ここに来た意味について少しぐらい教えてもらいたい、という気持ちです。

ところが、10分もしないうちに、お参りする人の足音と声が。どうやら小さい男の子とお母さんのようです。こんな奥の裏手にまで回ってはくるまい、とじっと様子を窺っていたのですが、その親子は裏まで回ってきました。井戸の結界にもお参りしています。かなり調べて来てるんだな・・・・。

何も言わないでいるのも気まずいので、「こんにちは。暑いですね」とご挨拶。名古屋からきて、新潟の友人宅に行く途中らしい。
依然として切り株に腰を下ろしたままでいると、男の子は、私の脇にちょこんと腰を下ろして頭を私の肩に持たせかけ、じっとしています。ずいぶん、馴れ馴れしい子供だなぁと思っていると、足の間に置いておいた帽子をみて「かぶって」とねだります。帽子を被ると、私の体の前に空いた空間に自分の体を入れて二人羽織のように私の両手を握り、一緒に体操のように遊びます。あ~、この頃の子供が一番かわいいよなぁ。何歳?と聞くと、3歳。名前は?「つばさ」

その名前を聞いたとき、私の体に電流が走りました。「えっ、生まれ変わりなんだ!」一瞬前までそんなことは思いつきもしませんでした。

亡くなった長男は「つばさ」という名前ではありません。ですが、亡くなる1年ほど前に、当時、一緒に活動していた京都のMさんを介して、スピリチュアルガイド(高次元存在)を付けてもらいました。ほかのメンバーでは付けてもらえない人も多かったのですが、子供なのに長男には何故かつけてもらえました。何か縁か、素養があるのかな、というぐらいの軽い気持ちでしたが、後から考えればその後の人生の大きな転機に備えるためのガイドだったのですね。「つばさ」は、長男がそのガイドにつけた名前で「つばさくん」と呼んで会話していました。あるとき、どんな会話をしているのか、と聞いたら、「もっと、おとうさん、おかあさんの言うことを聞かないといけない、と言われる」と言っていたのが思い出されます。(長男の経緯については「むかし話(ガイド/お迎え)」を見てください)

「いい名前だね」と言ったきり、もう私は身動きもできませんでした。男の子はしばらくして遊びにも飽きたのか、「じゃあね、バイバイ」
手を振るつばさくんは、私の涙を見て何か感じたでしょうか。今生において、もう会うことはないでしょう。

あとから思えば、生まれる前のこと覚えてる? とか聞いてもよかったかもしれません。計算すると10年ほどあちらの世界にいて、転生してきたことになります。しかし、仮にそれを確かめたとしても、どうしようもありません。いまはそれぞれの道を生きていくのみです。

たった30分ほどの出来事でしたが、私の心、エネルギー体には、言葉にできないほどの強いインパクトを与えました。輪廻転生や意識の仕組みについて、頭では理解していましたが、実際にそれをエネルギー的に体験することは、全く質が違いました。

宇宙の仕組みの素晴らしさ、演出には脱帽するしかありません。おそらく分離した意識が統合されるときの感動、歓喜は、この数万倍以上になることでしょう。できるだけ多くの人がこの感動をシェアできますように・・・・・😇

(長野編 完)

 

 

 

 

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