8月20日から21日にかけて、青森、秋田のパワースポットを巡りました。羽田8時50分発の便で大館能代空港へ。お盆休みを過ぎたためか、それほどの混雑ではありません。天候は曇り時々雨。最初の目的地は、五所川原市郊外にある靄山(もややま)。典型的なピラミッドです。
青森空港からのほうが近いのでは、と思われるかもしれませんが、帰り道には秋田のスポットも回るし、青森空港にはANAが飛んでいないのでマイレージが使えません! なので、大館能代空港から2時間半以上もかけて五所川原市に向かいます。
空港から建設中の秋田道(無料)に入り、殆ど車のいない東北道を走ります。すると自虐的横断幕がやたらと目につきます。「混雑知らずの津軽SA」「貸切休憩気分津軽SA」「津軽SA独り占め」。ちょうどお昼どきだったので、一度立ち寄ってみるか。
広大な駐車場には数台しか車がいません。確かに誇大広告ではありませんね。
時間がもったいないので、売店でおにぎりでも、と探したのですが、普通のコンビニと違っておにぎりを売っていない。地元のお土産ばかりです。立ち食い同等の麺類食堂がありますが、ちょっと食欲がわかず、レジの横に添え物のようにおいてあった菓子パン2個と飲み物を買ってすぐに出発。あれでは立ち寄る人も少ないはずだ(笑)
東北道を降りて、これまた建設中の津軽道(無料)に入ります。私のような旅行者には便利ですが、本当にこんなに自動車専用道路が必要なのでしょうかね?津軽道を降りてから一般の国道を走りましたが、殆ど高速道路と変わりません(^^♪
青森県の日本海側は初めてですが、津軽平野一面に田んぼが広がり日本の原風景の一つだなぁ、と感慨にふけります。冬は白一色となって厳しい季節となるのでしょうが、春から秋に一度ゆっくり訪れてみたい場所ですね。
十三湖を過ぎて海沿いの道を走ると、あれかなと思う山が見えてきました。カーナビはイマイチ頼りにならないので、最後はgoogleさまです。富山の尖山では登る道を間違え大変な思いをしたので、今回はネットで事前学習。国道に近い「登山口」からはきつい登山となるらしいので、車で山の裏手まで回って途中まで車で登ります。こちらにも「登山口」という表示があり、空いたスペースに車を停めて参道を登ります。
いつものことですが、誰もいません。しかし、人間に会わないのは構いませんが、クマに会うと困ります。一抹の不安を抱きながらも、目的が正しいなら守られているに違いない、もし勝手な思い込みでクマに襲われて南無阿弥陀仏ならそれも人生と割り切ります(内心はそれほどの覚悟でもありません(^^♪)
15分程で頂上に到着♪ 標高152mですが、なかなか良い景色です。山頂には、冬に備えた二重扉のプレハブ建て神社があります。
ありがたみはありませんが、2拝2拍1拝の仁義を切って、手早くワークを始めます。特に問題なく、すぐにエネルギーが通りました。やぶ蚊を払いながら20分程滞在。今回も、人類の平和、あらゆる存在との調和、新しい地球への円滑な移行を祈りました。
次は目的地というわけではないのですが、寄ってみたら、というあちらからのアドバイスもあり、三内丸山遺跡に向かいます。車で1時間15分程、15時前には到着しました。平日ですが、夏休みなので親子連れが目立ちます。
最近、縄文文化に興味を持ち始めたのですが、当時の文化程度はなかなか高く、土器、土偶、装飾品など、現在の技術では作れないようなものもたくさんあるそうです。5千年前ころから大きな集落ができ始め、2千5百年前ころまで栄えたようですが、気候の変化(寒冷化)によって別の場所に移住していったらしい。遺跡の成り立ちや概要を紹介する「縄文時遊館」でビデオや出土品を見てから、遺跡(遺構)に向かいます。
すると遺跡入口の手前の扉のところでシャワーのような心地よいエネルギーを感じました。普段のエネルギーワークでは、頭頂から下りてくるのですが、地面から湧き上がるようなエネルギーです。同時に、「あっ、ここに生きていたんだ!」と分かりました。いつ頃ですか、と聞くと、5千年前から4千5百年前頃だそうで、1回ではなく、少なくとも2回以上、転生していたようです。
遺跡内に入ると、懐かしいエネルギーが感じられます。そして現在も親しい知人、友人など、いくつもの顔が浮かびます。その頃、一緒に転生して生活していたんだなぁ。縁のある仲間は、同じ時期に同じようなところで転生する、と言われているからなぁ。
2002年に初めて海外ワークとしてスウェーデンに行ったときのことを思い出します。ルーレオという町の郊外を訪ねたとき、同じように懐かしい感覚が蘇り「むかし、ここに居たんだ」と直感しました。ハートチャクラが一気に開いて、それから3時間ほど人目もはばからず泣き続けました。今では少し大人になったので、涙が出るほどではありませんが感傷に浸ります。
遺跡内を散策すると、当時の平和な暮らしのイメージが蘇ります。村全体、たぶん5,6百人はいたようですが、みんなが家族のようなもので、お互いに得意なことを分業して、食べ物を分け合い、楽しく暮らしていたんだなぁ。なぜ今の社会では、このような穏やかな暮らしができないのだろうか。
(合掌土偶;祈っていたんですね)
すると何かが下りてきます。
「縄文人は、現代人よりもっと霊的な感覚を持っていて、すべての存在はつながっており、大きな存在に生かされているという感謝の気持ちを持っていた。現代人は物質的なものに重点を置きすぎて、その多寡、優劣を競うようになってしまった。自分たちがそれを許したという面はあるが、そのように仕向けたネガティブな存在に騙された、ということもある。
人類が平和に暮らしていくためには、まず考え方を改めなければならない。物質で成長を測るのを止めること、自分たちが生きていくための資源を平等に分配すること、地球をこれ以上傷つけないこと、が基本。競争は必要ない。金銭や物資が人の価値を決めるのではない。すべての人間、動植物は、それぞれの価値、意味があって存在している。それに気づかなければならない。」
仰ることはよく分かりますよ。ただ、具体的にどうやれば人の意識が変わるのか。
やはり言われるような天災地変が起こって、自分たちのやり方、考え方が根本的に間違っているということが骨身に染みないとダメっていうことですか?
「未来は可能性の問題。意識の向上、変化が早ければ、災難は小さくて済む。あなた方次第だ。」
いつものやり取りですが、だからといって今の私になにができるのか・・・・・
悩んでいても仕方がないので、十和田湖畔の温泉宿に向かいます。明日に向けて、旅の疲れを癒すことが先決だぁ♪
(つづく)
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