関東も梅雨入りとなりました。沖縄は既に梅雨明けなんですね~😁
5月下旬から6月上旬にかけて、日本ヴィパッサナー協会主催の瞑想合宿(実質10日間;千葉茂原)に行ってきました♪ 同じような瞑想センターは京都にもあり(日本では2箇所)、世界では240ほどあるそうです。
日本ヴィパッサナー協会は一般社団法人で宗教法人ではありません。無宗教を謳っており、どんな信仰を持っていようがいまいが受講可能で、怪しい勧誘などはありません。宗教的な装飾品、お祈りグッズなども持ち込み禁止です。
確かに、きちんと理解すれば無宗教なのですが、「ダンマに帰依する」という言葉や、瞑想ホールの雰囲気、指導者が一段高いところに座ってソレっぽい服装をしているところなどは、ちょっと宗教的と感じるかもしれません。
よくあるマインドフル瞑想リトリート(モンロー研プログラムも含めて)などが、「どんな姿勢で大丈夫ですよ~♪ 眠ってしまっても構いません💛」というような「同好会」レベルの気楽さだとすると、こちらはプロの新人キャンプ並みのガチの厳しさ、明らかに「修行」です。
会場に着くと期間終了まで会場(大きな野球場程度)から一歩も外へ出ることができません。貴重品などとともに、携帯、すべての電子機器は預かりとなり、書籍の持ち込み、筆記用具の持ち込みも認められません。さらに最初の瞑想が始まってから10日目の朝の瞑想が終わるまで、参加者同士の会話、目配せ、身振り、手振りによるコミュニケーションはすべて禁止。朝4時に起床し、夜9時半の就寝まで、瞑想ホールか三畳一間の個室で、1日10時間以上瞑想に専念します(因みに、食事は6時半、11時の2回のみ、17時に果物とお茶が出るだけ、かつ完全菜食)。
瞑想はミニマム1時間単位で座りっぱなし。蓮華座、正座でなく、胡坐、体育座りでも構わないのですが、特に4日目から始まる「強い決意のもとでの瞑想(adhitthana;アディッターナ1時間×3回/日)」では、身動きせず同じ姿勢で座り続けなければなりません。座り慣れない入門者にとっては、まさに「地獄」の苦しみです。私も、合宿に備えて1ヶ月ほど前から練習していたのですが、最初の数日は耐え難い痛みが続きました😢
どうやって乗り切るか、というと、クッションを使って慎重に体勢を整え 1)ひたすら耐える 2)呼吸など別のことに集中して痛みを忘れる 3)心身の適応能力に頼る ぐらいしかありません。幸いなことに、私も含めて殆どの方は期間終了が近づくにつれて、心身の適応能力によって、さほどの辛さを感じなくなる、というのが不思議、というか素晴らしいところです。
因みに、瞑想時間の合間に「講話」があり(合宿期間中の唯一の娯楽)、その講話のなかで参加者は「刑務所」にいるようなものだ、と言われるのですが、刑務所でもテレビや雑誌はあるので、それ以下かもしれませんね😩
ヴィパッサナー瞑想法を広く世界に広めたゴエンカ氏によると、この環境のなかで「心の手術をする」のだそうです。外科手術なら麻酔をかけられている間に医者がやってくれるが、心の手術は、痛みに耐えながら自分自身で行うもの、という趣旨です。
参加者は男女各25名程度で、初めての参加者(新しい生徒)が15名、経験者(古い生徒)が10名程度ですが、結構若い人が多く、平均年齢はおそらく40歳前後ではないか、と思います。働き盛りなのに、よく12日間も休みを取れるな、と驚きましたが、聞いてみると、自営の方、専門職の方など、比較的自由のきく職業の方が多く、転職の合間に来た、という方もいらっしゃいました。参加費無料というのがその一因なのかもしれません(合宿終了後、それぞれの気持ちに応じた寄付は推奨)。
この瞑想合宿に参加した理由は、というと、ガイドからのアドバイスがきっかけです(意訳)。
「仕事を辞めてから、趣味、娯楽など、どうでも良いことで時間をムダにしてるんじゃないの? 瞑想もおざなりだし。」
「いや、まぁ、その~、一息ついた、ということで・・・特に、何かしなければならない、ということでもないのかなぁ、と・・・」
「肉体の使用期限もだんだん迫っているのに、このままでは、地球に居残り、残業になってしまうよ。自分のエゴの始末は自分自身でつけなきゃね。自らを律する、きちんとした瞑想をするといいよ。どれが良いか、探せばすぐに分かるから。」
ということで、ヴィパッサナー瞑想を探して申し込んだのが2ヶ月ほど前。因みに参考にしたのがゴエンカ氏の著書でした。
本の内容は読んで頂くのが一番なんですが、ヴィパッサナー瞑想という技法は、ゴータマシッダールタ(ゴータマシッダッタ;一般にはブッダ、釈迦のこと)が生前行っていた瞑想法であり、当時のものがそのまま現在に受け継がれた、ということらしいです。
簡単に説明すると、「人生のすべての苦しみは、『渇望』(好むものを際限なく欲しがる欲望)と『嫌悪』によって生じるネガティブな意識エネルギーが原因である。それを根本から断ち切るためには、五感と心が、外部の現実と接触する際に発する感覚に基づく反応(好ましい、嬉しい、嫌い、怖い、気持ち悪い、というような心の反応)をなくして、意識(心)を純粋な状態(執着のない無私の愛、他者への慈愛、共感、平静)に保つことが必要であり、そのための自分自身の心と体を対象とした客観的な観察の訓練(瞑想)を行う」というものです。
まずは本の内容を簡単に知りたい、という方のために、解説動画をアップします↓

この動画では、味わい深いたとえ話がすべて割愛されていますので、実際に本を読むことをお薦めしますが、いずれにしても、本を読んだり、動画を視聴したりしただけでは、あまり意味がありません。教えのなかでも説かれているように、いくら知識を身につけても、自分で体験しないと意味がない、たとえ話でいえば、自転車の写真を見て、乗り方の解説書を読んだところで、自転車に乗れるわけではない、実践が大事ということですね。
ゴエンカさん自身が、生前、講演したビデオも残っています。

一度は絶対に行ってみるべき合宿だと思うのですが、これも縁なので、行くべき人は何とか調整して申し込むでしょうし(人気が高いのでキャンセル待ちが多い)、縁のない人は何かと理由をつけて二の足を踏むのかもなぁ、と思います。
因みに10日間程度の合宿では物足りない、という方のためには、20日間、30日間、45日間という長期合宿もあります。こちらは10日間合宿で毎日数時間ある休憩時間が一切ないそうです😲
参加者のなかには既に30日間の合宿に行った、とか、次は45日間の合宿に行く予定だ、という方もいらっしゃいました!
この瞑想法を正しく続けていけば、最終的には体の全ての細胞が微細な粒子となって溶けだす(ような感覚になる)らしいです。アジャシャンティや、ラマナ・マハルシなど、解脱者、覚者と呼ばれる人たちは、皆同じような体験を語っていたような気がします。同じ瞑想法でなくても、最終的に解脱に至った人は、体のすべての細胞が光に溶け去ってしまうという体験をするようですね😲
ゴエンカ氏の講話のなかでは、細胞が素粒子となって「溶け去る」ときにどうすればよいかについても語られていますが、初めての入門コースで理解できる人は殆どいないだろうなぁ・・・😅
■ガイドとの会話(意訳)
エネルギーの良い場所で長い時間瞑想すると、ガイドとの会話も弾みました。皆さんにも役に立ちそうなトピックスをシェアします。
◇ヴィパッサナー瞑想
3次元地球において、自我(エゴ)を浄化するための最も有用、効果的な手法のひとつである。
◇輪廻転生(3次元地球からの卒業)
ネガティブな意識のパターン、つまりエゴに基づく粗い波動を好み、粗い波動を放出している限り、寿命が尽きて肉体から抜け出ても、また同じ波動の現実に舞い戻ってしまう。同じ人格が転生するのではなく、波動パターンが繰り返される。
3次元地球を卒業し、高い波動の世界へ移行したいなら、低い波動に反応しないようエゴを訓練して、3次元的な執着(波動)を完全に手放す必要がある。
◇意識とは
意識とはエネルギー的な波動と理解されるが、実際には、ふたつの側面(機能)がある。一つは受信、つまり気づきであり、もう一つは発信、エネルギーの放出、つまり現実を創造する力である。
人間のような体を利用するときも、宇宙人のような微細体(subtle body)を利用するときも、物質的な媒体を利用しないときも、この原則は変わらない。
3次元の粗い波動に慣れ親しんでいると、刺激の強い粗い波動にしか反応せず(気づかず)、自らもエゴに基づいた粗い波動を発するので、弱肉強食のエゴに満ちた世界を体験する。
まずは粗い波動ではなく、微細な波動に気づくようになること。そのためにはエゴを抑制し、完全にコントロールしなければならない。微細な波動を発するならば、愛と慈しみに満ちた世界を体験するだろう。
◇根本原因
どこかの訳の分かっていない大統領が、和平のためには根本原因の除去が必要だと言った。彼の意図は全く別のところにあるが、表面的な言葉の意味は正しい。
世界に平和をもたらすためには、根本原因であるエゴの除去が必要だ。すべての人からエゴが完全になくなり、宇宙(自然)の法則を理解するようになれば、紛争、差別、貧困、分断などネガティブな現象は、すべて立ちどころに消え去るだろう。
アダムとイブが食べた知恵の実とはエゴのことだ。エゴによって、良い、悪い、正しい、間違い、美しい、醜いなどの価値判断が生まれた。アダムとイブは天国、楽園から追放されたのではなく、地球という天国にエゴを持った人間が住み着いた結果、現在のような世界となったのだ。
◇あるがままで完璧
「あるがままで完璧」という言葉は誤解が多い。今のままの世界が美しいとか、素晴らしい、ということではない。「完璧」も「素晴らしい」という意味ではない。
「あるがままで完璧」とは、1+1は2である、というだけのこと。自然の法則、宇宙の法則は曲げられない、ということだ。
人間は、自ら発した意識波動が形作った現実世界を観察している。宇宙人が来て素晴らしい世界に変わるとか、救済されるとか、外部的な波動の変化で世界が劇的に良くなるとか、すべて夢物語、単なる願望だ。
自分の発する波動を変えなければ、自分の経験する世界は変わらない。
◇体験
微細なエネルギーに気づくためには、実際に体験するしかない。いくら想像しても分からない。
天国も地獄も、宇宙人や宇宙存在も、多次元の現実、意識のさまざまな階層も、宇宙全体が「わたし」、「わたしはあなた、あなたはわたし」も、この宇宙の外に「わたしはいない」をみることも、実際の体験があって初めて肚に落ちる。
しかし、同じ体験を何度も望むことは、渇望なのだ。肚落ちすれば、手放すことだ。この人生と同じように。
充実した10日間でした。解脱できるかどうか、どれぐらい要するか、は別にして、進む道がハッキリしたという点では、晴れ晴れとした気分です。いずれまた行くのだろうな~😁
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