ガイド(お迎え)

むかし話

この世からあの世へ渡るときはお迎えが来る、などと言いますが、お迎えガイドの姿を目にしたのは、2005年1月2日のことでした。

私の父は、全くスピリチュアルな人間ではなかったのですが、どういうわけか私が高校生ぐらいのときに、四柱推命の大家に大枚を払って、父、母、私の運命を占ってもらったことがありました。
その占いには、私の将来の家族関係についても書いてあり、子供はできないか、仮に生まれたとしても一人だけで、しかも夭逝する、となっていました。その頃は、現実感もなく、占いを信じているわけでもなかったので、そんなものか、という程度に受けとめていました。

年月が流れ、家内と結婚し、子供を授かることになりました。すると全く忘れていた昔の占いのことが急に思い出され、毎日のように家内のおなかをさすっては、世の中の夫婦が願うであろうと同じように、とにかく健康で五体満足な子供に生まれてもらいたい、と祈っていました。
お蔭さまで、生まれた長男は健康そのもので、すくすくと育ちました。スポーツが好きなサッカー少年でした。私はいつしか、占いのことなどすっかり忘れていました。その子供に異変が起こったのは小学6年生となった2004年11月末のことです。

職場に家内から電話があり、子供が救急車で大学病院に運ばれた、というのです。何事かと思って駆けつけると、くも膜下出血でICUに運ばれ、意識不明となっていました。外傷性ではなく、脳動脈乖離という病名です。延髄に近く手術はできない部位なので、本人の回復力に任せるしかない、とのこと。
しかし不幸中の幸いというのでしょうか数日で意識は戻り、ICUのなかではありましたが、意思疎通もでき、病室に持ち込んだテレビを見て笑うようにもなりました。

当時、スピリチュアル活動でご一緒していた霊能者の京都のMさんには本当にお世話になりました。子供のヒーリング方法を逐一教えてもらい、毎回1時間以上かけて行うヒーリングを1日2,3回行っていました。Mさん本人も病院まで駆けつけ、直接、ヒーリングをしてくれたこともありました。

このまま順調に回復していくかも、とかすかな希望を抱いていたとき、2005年の元旦でしたが、脳圧を下げるために差し込んであった管にうっすらと血が滲んでいました。最初にICUに運ばれたときは管が真っ赤だったのですが、徐々に薄くなっていき年末には透明になっていました。その管に血が滲むということは、どこかで少し出血している、ということで、悪い予感が頭をよぎります。
次の日の朝、1月2日ですが、病室にいつも通り入りヒーリングしようとしたそのとき、病室の片隅の光輝く存在が目に入りました。じっと長男のことを見ています。
「あ、ガイドだ!」 ガイドというのは、世の中でいう「お迎え」のことです。「お迎え」とか「死神」というと非常にネガティブな印象がありますが、人が死んで肉体を離れるとき、自分が行くべき世界に連れて行ってくれる存在です。それまでスピリチュアル関係の本を読んでいたので、知識として知ってはいました。ですが、遭遇したのは初めてです。ガイドは、穏やかな愛にあふれた光輝く素晴らしい存在でした。同時に、長男を迎えに来ている、つまり長男の寿命が尽きるのだ、というメッセージを明確に発していました。

えっ、もうダメなのか・・・・・

翌日、京都のMさんから電話があり、「本当に残念だけど、もう難しいかもしれない」と告げられました。それから1週間ほど病状は悪化せず、いつもどおり痛みを取り除くためのヒーリングしたり、他愛のない会話を交わしたりしていましたが、これほど苦しい時期はありませんでした。本人にはもちろん、家族にも説明できず、吐き出せない悲しみを自分のなかに抱えてどうすることもできず、ただそのときを待つしかない。
意識は永遠で、今の人生も数多くの転生の一つに過ぎない。そのなかでいろいろな経験を通して学び、成長していけばよいのだ、と頭では分かっています。しかし「現実」を目の前に、こんなこともしてやりたかった、あんなことは言わなければ良かった・・・・いろいろな思いが心をよぎります。縁の深さによるのでしょうか、それとも自分の心に後悔の思いが強かったのでしょうか。両親はすでにこの世を去っていますが、そのときは、ああ寿命が尽きて去っていくんだな、というぐらいの受け止めでした。

結局、1月中旬に大出血が起こり、再び意識不明となって2月中旬には帰らぬ人となりました。

世の中では、ポジティブ思考がいいとか、ワクワクが大事とか言われますが、私は、大きな悲しみ、苦しみも、人生をさらに深めてくれるような気がしています。もとはと言えば自分自身の人生設計ですし、必要だから起こる体験なんですけれどもね・・・・・

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