近隣でもサクラが咲き始めました。花曇りでしょうか。
前回、多次元現実に関するロバート・モンローとナンシー・ダニソンの見解をご紹介しましたが、少し補足します。
■人間体験
ロバート・モンローのように何回も自由に体外離脱して、宇宙のいろいろな次元、世界を見て回ることができる人なら、今回の人生を最後に「旅立つ」のだろうと思われる方が多いかもしれませんが、彼自身は「あと1回の転生のあと、地球を去る」と語っています。しかも「未来」ではなく、「過去」のある時期に戻って😲
一方のナンシー・ダニソンは、魂(上位意識)の成長過程で、必ず経験しなければならないのが「人間体験」だと語っています。彼女自身は、既に人間体験を終えた魂だったのですが、宇宙の要請に応えて、再び人間体験に舞い戻ったとも。仏教でいう菩薩ですね。
もっとも、人間体験が過酷すぎるので諦めた、という彼女の仲間のエピソードも紹介されています。魂のなかのすべての「個」に人間体験が必要なのではなく、魂の「ある側面」が体験すれば足りる(つまり体験を共有できるので)、ということなのかもしれません。
■未来
ロバート・モンローは、「過去世」体験については数多く触れていますが、未来についての言及は少なく、一つだけ明確なエピソードを紹介しています。可能性として、という注釈はついているのですが、西暦3500年頃の地球を訪問したときの話です。
現代のような物質文明はすべて消え去って、殆どが手つかずの自然(人間がいない)状態に保たれ、ごく一部の地域のみ(日本のあたり)が美しい庭園のように手入れされている。人間は、現在に比べると、ごく少数だけがエネルギー的な形態(霊?)として普段は存在していて、週に2,3回だけ、そのあたりに保存してある「人体」に入り込んで活動する、と「魂の体外旅行」で触れています。
モンローは、この未来について、人類の文明が消え去ったと落胆するのではなく、コントロールされていない乱雑な感情や思考が消えて、ようやくまともになった、と歓迎しているようですが、どのような経緯でその状態となったのかについての具体的な言及はありません。
西暦3500年は、随分先だと思うかもしれませんが、今から1500年前は既に歴史の記録がある時代です。それぐらいの短い期間で人間そのものの存在形態が変わり、思考、感情の状態も大きく変化するということは考えにくいので、もしそのような未来が実現するなら、連続的な進化ではなく、どこかの時点で非連続的、飛躍的な変化=シフトがある、と思われます。
生きているうちに、こんな劇的な変化が起こると楽しいでしょうね😍
一方のナンシー・ダニソンは、地球の誕生から消滅までのすべてを見通した、と語っています。歴史の嘘や宗教の誤りなどを指摘していますが、こちらも残念ながら、人間文明や地球がどのような形で終焉を迎えるのか、についての具体的な言及はありません。
■自由意思
ロバート・モンローは、すべての人間に自由意思が存在する、という立場です。その選択によって「人生が変わる」ということなんでしょうね。しかし一方では、どのような人生に入るかについての選択はある、としているので、人生の大枠はどこかで決まっている、という前提なのかもしれません。
一方、ナンシー・ダニソンは、魂レベルでの人生選択を認めていますが、魂によって設計された人生について、個々の人間レベルで自由意思があるかどうか、については明確な言及がありません。日常生活の細かい選択、たとえば何を食べるか(肉食かビーガンか)、についての自由があろうがなかろうが、そんなことはどうでも良く、人生に起こる大きな体験とそこから得られる果実は決まっている、ということかもしれません。
■非二元であろうがなかろうが・・・・・・
多くの探求者が興味を惹かれるであろう上記のような項目について、非二元の立場は明快で、すべては幻想である、というものです。それぞれのストーリーを経験する「自分自身」は幻想であって存在しない、のですから、ある意味で当然です。
しかし「自分」が存在するのか、しないのか、という極端な議論をしなくても、もし仮に「あなた」が宇宙全体だと仮定することができれば、その一つの細胞である銀河系が誕生して死滅する、または、細胞のなかの現象の一つ、つまり人間文明という存在が生まれて消えることに、取り立てて大きな意味はない、程度に捉えられるのではないでしょうか。
「自分」を小さな限られた存在として定義し、価値観や義務感で縛り付けると、いろいろなことが苦しくなってしまいます。
非二元であろうがなかろうが、人類の未来がどうなろうが、いつ「わたし」が死のうが、すべて大したことではないのですよね😁
ご参考までにアラン・ワッツの動画をご紹介します↓

次の投稿はGWあたりになるのかなぁ😁

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