花粉症と風邪のせいなのか、頭がボーっとしてスッキリしません。いや、この世に生まれてから、ずっとボーっとしていたのかも・・・・・・😨
今日取り上げるラマナ・マハルシは、近代インドの大聖者と称される人物で、1879年に生まれ、1950年に亡くなりました。10代の頃に完全に悟ったと言われていますが、宗教的な活動をすることはなく、南インドのアルナーチャラという場所に住み続け、問われれば自らの体験を語る、という生涯だったようです。
ラマナ・マハルシを紹介する動画がありました(いくつかの「名言」も紹介されていますが、少し難しいかも)↓

ラマナ・マハルシとの最初の出会いは、10年以上前、「ラマナ・マハルシとの対話」(第1巻~第3巻)という本でしたが、多くの対話は譬えで構成され、言葉の意味が難解なこともあり、神智学大要と同じようなことを言っているのかな、ぐらいの理解しかありませんでした。
今回、「真我」(ナチュラルスピリット;2024.12.20第2刷)という本を通じてラマナ・マハルシと再会しました。
150ページほどの短いものを読んでみて、ラマナ・マハルシはそういうことを言っていたんだ! そういう境地に達していたんだ!! と目からウロコでした😲
以前読んだときは、それなりにいろいろなことを分かったつもりでしたので、穴があったら消え入りたい心境です😞 弁解がましく言えば、理解する準備ができていなかったということでしょうが、ということは、いまでも何も分かっていないのかも・・・😨
内容については、本来、読んで頂くのが一番ですが、そんなのは難しそうだし面倒、という方のために、もう少し分かりやすいマハルシの高名な弟子たちの生涯、言葉もご紹介します(いずれもInner Science Labさんの動画)↓
ブンジャジ(マハルシの弟子;パパジ)

数々の神秘体験もインパクトがありますが、すべてを捨てて一心に求める、というところは真似できません。さらにラマナ・マハルシの凄さも際立ちます😲
ガンガジ(ブンジャジの弟子)

ガンガジがブンジャジから言われたという「あなたの問題のすべてはあなたが行動し続けることにある」という言葉は、私にとっても痛撃でした😩 さらに「指導者たちは、あなたが輝く意識であり、光であり、真実である、というでしょう。けれどもあなたは自分が誰であるか、自分で気づかなければなりません。さもなければ、誰が何をいっても、それはあなたが思い込んでいる自分という物語への追加にすぎません。真実の、そしていつまでも変わることのない気づきとは、単なる霊的な体験のコレクションの一つではないのです。」というのも耳が痛いです😅
つまるところ、いろいろな神秘体験(超常体験)があったとしても、それは物語のエピソードの一つに過ぎない。「真我」にワンタッチしたとしても(一瞥体験)、それ自体に意味はない。
常にある「いま」という瞬間に、「自我(幻想)を滅して実在にとどまる」ことが「至福」であり、「すべては在るように在る(しかない)」という気づき、が究極の悟りということでしょうか。(その状態になっていないので想像でしかありません😩)
次元のシフトだの、宇宙人との遭遇だの、に心躍らせていた自分が、古ぼけたアルバムに飾られたセピア色の写真のように感じられます。
どんな次元であれ、世界であれ、自分という個が存在して何らかの対象を観察(体験)する、というイメージ(世界観)は、至福(実在、すべて、ソース)が覆い隠されている状態であり、幻想なんですよね。
何でも、ネタが分かってしまえば「コロンブスの卵」ですけど、それまでは「無明」、原因も理由も分からず、ただ幻想のなかを彷徨っている、というわけです😩
しかし、実在(真我、ソース)にとどまることは、言うは易く行うは難し、という気がしますよね? 「悩む」ということも、自我が前提となる思考、行為なので、本質的な意味はないのですが、まさに暗中模索、日暮れて途遠し、少年老い易く学成り難しです。
そういう迷える子羊、つまり一瞥体験はあるが、定着していない、という方を勇気づけるための動画もInner Science Labさんがアップされています(アジャ・シャンティ)。もちろん、一瞥体験のない方も大いに参考になると思います。

この動画で紹介されているニサルガダッタ・マハラジ、ラメッシ・バルセカールの紹介動画も興味深く拝見しました。紹介されている本の殆どは読んだことがあるのですが、時期尚早だったのか、あまり覚えていません😞
このブログもそろそろ賞味期限切れかなぁ・・・😩
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