死ぬ前に死ね

つぶやき

桜の季節も終わり、暖かくなってきました。人間世界で何が起きようとも、自然は淡々と歩みを進めます😁

今日の表題はちょっと過激ですが、前回の投稿でご紹介したアジャ・シャンティの本から拝借した言葉です。禅の「公案」のように聞こえますが、正確な出どころは分かりません。

簡単にいうと、肉体が滅びる前に自我を消せ、ということです。「自己」や「世界から独立した自分」が幻想であることを見抜き、自我を完全に消し去ってしまうことにより、完全な解脱、解放、自由に至る、という非二元論によっています。

これまで何回も非二元論を取り上げていますが、非二元を少しでも体験するまでは、なかなか理解が難しいですよね😩

とはいえ、多少なりとも歩みを進めるために、この境地に至った大和田菜穂(著書「すでに愛の中にある」)をご紹介します(今回も

ノンデュアリティの真理を解き明かす一冊!【16分解説】『すでに愛の中にある』/大和田菜穂
今回は、ノンデュアリティ・スピーカーとして、世界中で活躍されている、大和田菜穂さんの著書、『すでに愛の中にある―個人のすべてを失ったとき、すべてが現れる』についてお話しています。以前お話しした「バタ足ノンデュアリティ」が、できるだけわかりや...

動画の半ばで、ショッピングモールやデパートに置いてある、子供向けの簡単な動く乗り物が例として取り上げられています。そんなことってある? と思われるかもしれません。

イメージしにくければ、大規模テーマパークに設置されているジャングルクルーズでも同じたとえ話はできます。動くコースや現れる景色、仕掛けは決まっています。

もう一つのポイントは、そのライドに乗っている「あなた」が、ホログラム(投影された映像)だ、ということです。ホログラムの「あなた」が何をしようがしまいが、楽しかろうが苦しかろうが、ジャングルクルーズには何の影響もなく、ライドは決められたルートを進み、ゴールに辿り着きます。

これも譬えですが、ゴールまでに「あなた」がホログラムで実体がない、と気づけるかどうか、がゲームのポイントです😁

また、大和田さんの動画のなかの「自由意思はない」ということに違和感を持たれる方も多いのではないでしょうか。どう感じるか、どのように考えるか、ぐらいの自由はあるんじゃないのか、と。

昔、読んだ本に「自分という存在は、川の流れのなかにできる小さな渦のようなものだ。渦は周りのエネルギーのなかで自然に生まれ、流され、やがて消えていく。宇宙という大きなエネルギーの流れのなかで、生まれたり消えたりを繰り返す。それが『自己という幻想』の本質だ。」というような一節がありました。

感じる、考える、ということも、周囲のエネルギーによって形成される渦の回り方のパターンの一種で、渦自体には何の意思もなく、能動性もない、ということです(周囲の状況に反応しているだけ)。納得できませんか?

 

■悟りと解脱

「悟りと解脱」、「一瞥体験と明け渡し」、大和田さんが使う「目覚めと解放」、アジャ・シャンティの使う「定着しない目覚めと定着した目覚め」、すべて同じなんですが、非二元に至る段階を示しています。自我がある程度緩んで、非二元を垣間見た状態が前者、自我が完全に崩壊、消滅した状態が後者ということですね(ステップを経ずに、一瞬にして自我が完全に崩壊してしまう方もいらっしゃるようですが)。

言葉で定義を説明しても、実質的には何の意味もないわけですが、書籍やSNSなどの情報に接するときに、この違いを知っておくと、ホンモノとそうでないものを見分けるのに便利です。一瞥体験をもとに、いろいろな「未来予測」をされている方も多いので(臨死体験も多くはこの類)😩 *そもそも「未来」とか「過去」を語っている段階でアウトなんですけどね😁

このブログを書いている「わたし」も、一瞥体験の段階で、完全な目覚めには至っていません。あまり信用できないかも😅

 

■解脱、解放への道

では、「一瞥体験」でも、その先の「解放」でも、どうやって辿り着けば良いのか、方法があるなら教えてくれ、と思ってしまいますよね。

これに対してアジャ・シャンティは、「誰もその方法を教えることはできない。自分の内面に聞いて、それに従うしかない。」と言っています。

もうひとつの大きな疑問。そもそもジャングルクルーズのように人生が決まっているなら、自分が一瞥体験をしたり、完全な解脱に至るかどうかは、予め決まっているのではないのか。だから何をしようがしまいが関係ないのでは? と思われるかもしれません。

これについての回答は二つ。

世の中には、非二元(ノンデュアリティ、ワンネス)という言葉すら聞いたことがなく、一生を終える人もたくさんいます。精神世界に興味を持ち、このブログをいま読んでいる、ということは、あなたの人生にその可能性がある、ということです。

もうひとつは、アジャ・シャンティの言葉「誠意をもって自分の人生に取り組む」、ブッダの言葉「自分で歩くしか到達する方法はない」です。

 

わたしはしばらくの間、世間的な活動や精神世界の探求活動をなるべく控えて、自分の内面と向き合う瞑想に重点を置こうと思っています。自我を解体、崩壊させようと「自我」が考え、行動すること自体、ある種の矛盾ではあるのですが、それが「内なる声」なので従うしかありません。あとは宇宙の流れに任せるのみ😁

今後、ブログの投稿頻度はかなり少なくなると思いますが、解脱実験の過程をときどきお知らせします

 

 

 

 

 

 

コメント

  1. 石上 みえ より:

    初めまして
     ブログを拝見し、学ばせていただいております。
     瞑想に重点を置かれるとのこと。
     寂しく思います。
     
     

    • gaianotabibito より:

      コメントありがとうございます♪
      少しでも、皆さんの気づきのきっかけになれば、嬉しいです。
      投稿も月に1回程度は継続しようと思っていますので、引き続きご愛読、よろしくお願いします!