おかげさまで花粉症の季節も終わりました。ずいぶん昔に発症した花粉症、初めの頃は悲惨でしたが、年を追うごとに症状が軽くなっているような気がします。老化でしょうか?
今日はジョナサン・アシュフォードの臨死体験をご紹介します。
これまでに取り上げたナンシー・ダニソンなどの臨死体験と本質的に大きな違いはないのですが、ごく最近の体験であること(2023年5月頃)、約3時間の臨死体験のあいだに「非二元的領域」に達したあと、典型的な覚醒者の(に近い)意識を維持し続けていること(ご本人の申告)、が特徴です。
ジョナサンについては、youtube動画にいくつかアップされているのですが、ここでは個人的な好みの”Anthony Chine production”作成の動画をご紹介します(やや長尺)↓

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なるほど、と思う興味深い点をピックアップすると、
1)自我(自己)とはベールのようなもので「真実」(愛)を覆い隠している
2)この世のすべての人は、もっと多くのものがあると気づくヒントを与えられているが、(仕事や自分の興味のあることに)忙しすぎて気づくことができない
3)完璧さを求めるエゴが苦しみを生み出す
4)私たちがここにいるのは、私たちが何者であるかを思い出すことであり、多くを学ぶことではなく、鏡を見て自分が愛そのものだと認識すること
5)自分自身がこの肉体ではなくそれ以上の存在であることを忘れるなら、気づくまで何度もここに戻ってくることになる
スピリチュアルに何の興味もなかった人が、たった3時間の臨死体験を通じてここまで意識が変わるということは、驚異というか不思議というか。しかし、長い修行によって意識(自我)が何かを悟ったり、覚醒したりするのではなく、エゴ(アイデンティティ)がただ消え去るだけ、と考えれば、意外に簡単なのかもしれません😲
もっとも、イエス(というイメージ)が出てくるところや、将来ビジョンについて語っているところなどは、どうかな~😅と思います。言葉にできない世界を表現しようとする難しさがあるとしても。
3次元現実のなかで、エゴを完全に手放して非二元にとどまることは本当に難しい!!
アジャシャンティは著作のなかで、「定着しない目覚め」から「定着した目覚め」に移行するまでに7年を要した、と語っています。その間「自己」を手放すためにいろいろと苦労したそうですが、7年で目覚めが定着するなら、お安い御用じゃないか、と思ってしまいます。
しかし、このような「悩み」「不安」が、既に二元的分離に巻き込まれている証拠なんですよね😩
■永遠の命と「わたしはいない」
スピリチュアルを探求する人に起こるのが、「いまのわたしという存在は永遠である」という誤解です。永遠なのは普遍的なエネルギー(いのち)であって、「わたし」という個人(エゴ)ではありません😅
なぜこういう誤解が生まれるか、というと、根本原因は、3次元的エゴが自らの存在の消滅を恐れて、永遠に存在し続けるストーリーを追いかけようとするからです。
死後の世界、アセンションなどは、多くの場合、「あなた」が消滅しないことが前提となっています。そこでは、自らの能力が拡大したり、美しい世界に転生したり、というエゴにとっての心地の良い物語が展開します。本当かどうか、など客観的な証明は必要ありません。真実であろうがなかろうが、エゴはそれを信じたい、信じていればそれが真実である、というわけです。
厄介なのは、変性意識状態になることで、この3次元以外にも「別の現実が存在する」と認識してしまうことがある、ということです。私自身がそうでしたが、何かの拍子に、異次元世界を体験すると、「真実」に一歩近づいたような気がしてしまうんですね。その結果、いろいろな「物語」が強化されてしまう😩
異次元世界が「嘘」だというわけではありません。この3次元世界と同じぐらい「本当(リアル)」なんです。でも、どちらにも体験するエゴがあって分離がある。
エゴが作り出す「分離の世界」が幻想であると気づくこと、それが非二元の入り口です。
生まれるものは、消える宿命にあります。肉体も、感情も、思考も、記憶も。しかし、それらは、もともと「わたし」ではない。
目覚めとは、この禅問答が「突然腑に落ちる」ことなのかもしれません😲
今日はこのあたりで👋

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