立春を過ぎましたが、降り積もった雪で歩道は真っ白😲 水不足が少しでも解消すると良いですね。
探求が終わってしまったので、目新しいことは何もないのですが、読んで下さる皆さんに、何かしら気づきはあるらしいので、引き続き投稿しています。
・自分とは何か、を問い続けると、いずれ「自分」が幻想であることに気づく。
・「自分」が幻想であるなら、「他者」の「自分」も幻想であり、この世界に「個」は存在しない。すなわち、覚醒する者、悟る者はいない。ただ世界の現われがある。
・時間は存在しない。過去の記憶も、未来の想像も、すべて「いま」の思考であり、思考が消えれば、過去も未来も存在しない。時間は錯覚である。
・3次元世界は、3次元の肉体に紐付けられた意識が存在するから認識される。肉体が滅びれば、3次元の体験は消える。3次元世界とは、意識(マインド)が投影された移ろいゆく夢、幻想である。
・3次元に限らず、どの次元、どの世界も、「すべて」の「現われ」の一部である。現われ方は無限にあるが、つまるところ、夢、幻想である。
・「あなた」は、「すべて」の一部分である。現われた世界の一部分ではない。
・人生に意味はない。意味を与えているのは自我(エゴ)である。川の流れは、ただそうあるだけなのだが、この流れは正しくないとか、嫌いだとか、抵抗すればするほど、苦労する。人生に意味がないと分かれば、つまり成功も失敗もないと分かれば、気楽に川の流れに乗っていられる。
「非二元」の本質を掴めていれば、これらの言葉がスルリと簡単に腑に落ちるでしょうが、掴めていないと、分かったような分からないようなスッキリしない感覚が残ると思います。
上から目線で言っているのではありません。「わたし自身」が、本当に長い間、本質を掴めない状態にあって、分かったと思えば、次の瞬間には迷っている、という彷徨を続けてきました。隔靴掻痒のもどかしさは十分に理解しているつもりです。ですから、リトマス試験紙のようなものだと思ってください。
でもこのブログを読んでいる、ということは、おそらく隔靴掻痒の状態にある、ということですよね😅
本質を掴むための簡単な方法があれば良いのですが、残念ながら、それぞれのタイミングが来るまでは、試行錯誤を繰り返すしかないのかも😩
★たとえ話
いつもたとえ話ばかりで申し訳ありません。しかも今日の「譬え」は少し複雑です😅
<前提>
皆さんそれぞれが二次元的な平面にいる、と想像してください。皆さん自身は、基準点(原点)、つまりゼロの位置にいる、と仮定します。
皆さんのすべての思考、感情、記憶、感覚は、基準点から延びる矢印(ベクトル)で表されます。それぞれの方向はバラバラで、長さ、太さも多種多様です。ベクトルに応じて、実際に行動を起こすと、基準点が移動していく、という仕組みです。多くの人は、良い悪いや好き嫌いを持っていますので、プラスとマイナスの座標軸が書かれていて、殆どの人が自分にとって好都合な座標位置に移動しようとしています。
あなたの人生のすべては、可能性も含めて、この平面で表されています。うまくイメージできたでしょうか?
<よくある誤解>
よくある誤解のひとつは、霊的な探求、宗教的な真理の追究、異次元世界とのチャネリングなどは、この2次元平面では表わされない、と考える方がいらっしゃる、ということです。
つまり、現世的なものを対象としていないので、2次元平面ではなく、あえていえば3次元以上の高次元のベクトルなのだ、と信じ込んでいる、ということなんです。
しかし、よく考えてみると、霊的な探求であれ、チャネリングであれ、実際に使っているのは、思考、感情、記憶や感覚(あえて五感とはいいませんが)なので、平面から外に出ているわけではありません。
この勘違いは、自らの思い込みで勝手に人生に「例外措置」を設けているようなものなのです。冷静かつ客観的な見方ができないので、たとえば宗教にハマってしまう、霊感商法に財産を騙し取られる、というような極端な例だけではなく、探求そのものを妨げてしまう、という側面もあります。
もう一つの大きな誤解は、人生の平面図のどこか遥か彼方に、覚醒や悟りのポイントが記されている、という思い込みです。そこに到達するために様々な修行や修練が必要だ、という考え方に結びついています。
簡単に結論だけ申し上げると、この平面には、覚醒や悟りのポイントはありません😞
<瞑想、マインドフルネスなどのアプローチ>
瞑想やマインドフルネスは、基準点から出ている矢印(ベクトル)をうまくコントロールしようとするものです。
これらの教えの多くでは、矢印に自らの意識の焦点を当てると、矢印が強く大きくなり、焦点を当てなければやがて消え去る、と教えています。
特定の象徴への集中や、無念無想を通じて、(マイナスの)矢印に焦点が当たらないようにすることにより、結果として自分が好ましいと思う座標へと移動していく、という考え方でもあります。
これに対して、非二元的なアプローチは、そもそも矢印(ベクトル)をコントロールすることはできないが、浮かんだとしても、消えるに任せていればよい、というものです。手法自体に大きな違いはなさそうですが、座標を移動することを目的としていません。
<非二元の本質>
ではこの平面において、非二元的の本質を掴む、とはどういうことなのか? あえて言葉で説明すば、
・基準点(自分)は平面のどこにも存在しない。
・この平面は「すべて」によって現れた世界の一つであり、「すべて」のなかに自らの本質が含まれている。
つまり、この平面のなかに自分が生まれた(存在する)のではなく、自らの本質がこの平面全体を生んだ、ということなんです。頭で理解するのではなく、これを「体感する」ことが即ち、非二元の本質を掴むことなのだ、としか言いようがない、という気がします😩
この説明だけですべてが腑に落ちるのなら苦労はないのですが。。。
■ニサルガダッタ・マハラジ
ようやく今日の本題です。一年ほど前、ラマナ・マハルシを紹介したブログのなかで、ニサルガダッタ・マハラジにも触れたことがあります。当時のわたしは、本質を掴めていなかったので、非二元の周辺をウロウロと歩き回っている感じがよく出ています💦

ニサルガダッタ・マハラジは1981年に亡くなっていますが、20世紀インドにおける非二元(アドヴァイタ・ヴェーダンタ)の偉大な覚者とされています。
ご紹介する本は、ニサルガダッタ・マハラジの弟子であるラメッシ・バルセカールが書き記した言行録のような本です。
(2020年3月19日初版)
数年前に一度読んだときは、分かったような分からないような難しい本だと思いましたが、ふと思い立って本棚から取り出して読み返しました。今回は、なるほど、そういうことを言っていたんだね、とスラスラ読めました。
ニサルガダッタ・マハラジが何を言わんとしていたのか、特徴的な点をまとめた動画がありましたのでご紹介します。

教えだけではなく、人となりについても知りたいという方は、こちら↓

この動画のなかでは「アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話」「意識に先立って─ニサルガダッタ・マハラジとの対話」という本も参照されていますが、ニサルガダッタ・マハラジ自身が出版を許可している先ほどご紹介した『 ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの ―時間以前からあった永遠の真実―』が読みやすいです。
この本を読んでも、本当のところ何を言っているのかよく分からない、という感想を持たれるかもしれませんが、「試行錯誤」のための鍛錬材料としては、良い本だと思います😁
次回の投稿は、もう少し暖かくなってからになると思います💛

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